名古屋の居酒屋やもつ焼き店に足を運ぶと、メニューの端に必ずと言っていいほど並んでいる「どて煮」。赤味噌でコトコト煮込まれた牛すじやもつは、お酒のあてにもご飯のお供にもぴったりの一品ですよね。ただ、この馴染み深い名古屋めしが、いったいいつ、どこで生まれたのかを詳しく知っている方は意外と少ないかもしれません。今回は、どて煮の発祥にまつわる諸説と、名古屋の味噌文化との深い関わりを一緒に紐解いていきましょう。

発祥の話に入る前に、まずはどて煮がどんな料理なのか、あらためて整理しておきましょう。
どて煮は、牛すじや豚もつを豆味噌(いわゆる赤味噌)ベースのたれで、砂糖やみりんとともに時間をかけて煮込んだ料理です。長時間煮ることですじ肉はとろとろに柔らかくなり、味噌の芳醇なコクと肉の旨みが溶け合います。豆味噌のコクと牛すじの旨みがひとつになった、名古屋を代表する味わいだと言えるでしょう。仕上げに刻みねぎや七味唐辛子を添えるお店も多く、寒い季節はもちろん、一年を通して愛される定番メニューです。
どて煮に使われる主な材料をまとめてみます。
味の要となるのが、名古屋圏で古くから親しまれてきた豆味噌の存在です。ここでは、どて煮とよく似た料理との違いにも触れておきましょう。
関西でよく見かける「どて焼き」は、鉄板の上に味噌を土手のように盛り、その中でホルモンを焼く料理です。一方どて煮は、鍋の中でじっくりと煮込むスタイルが特徴です。また、全国的なもつ煮込みは醤油や合わせ味噌を使うことが多いのに対し、どて煮は豆味噌を主体にした濃厚な味わいが際立ちます。「焼く」から「煮る」へと調理法が変化していった点が、後ほど紹介する発祥説を読み解くヒントになります。
味噌カツや味噌煮込みうどんと同じく、どて煮も豆味噌文化から生まれた名古屋めしの一員です。ただし味噌カツが専門店の看板メニューになりやすいのに対し、どて煮はどちらかというと居酒屋やもつ焼き店の一皿として、日常的に食べられてきた料理という違いがあります。気取らず楽しめるところも、長く愛されてきた理由のひとつかもしれません。

では肝心の発祥について、どのような説が語り継がれているのでしょうか。ここからは、代表的な二つの説を順番に見ていきます。
よく知られているのが、大阪発祥とされる「どて焼き」から派生したという説です。もともとは鉄板の上に味噌で土手を作り、その中でホルモンを焼く料理として親しまれていたものが、やがて牛すじを煮込むスタイルへと変化していったと考えられています。この説では、どて煮という名前自体が「どて焼き」の調理法に由来しているとされている点が興味深いところです。
この説には、名前の由来そのものに関わる興味深いエピソードが残っています。ここからは、その調理法と誕生時期について詳しく見ていきましょう。
「どて」という言葉は、鍋やお鍋のフチに味噌を高く盛り付けた見た目が、川の土手に似ていることから付けられたと言われています。少しずつ味噌を溶かしながら具材に絡めていく調理スタイルは、どて焼きからどて煮へと受け継がれた大きな特徴のひとつです。
大阪のどて焼きについては、1920年頃に生まれたと言われることもありますが、発祥の地や最初のお店を特定できる資料は今のところ見つかっていません。どて煮についても同様で、「大阪発祥」「名古屋発祥」といった説明は見られるものの、最初の一皿が生まれた年や店舗を断定できる公的な記録は限られているのが実情です。
一方で、どて煮は名古屋で独自に発展した料理だという見方もあります。戦後の物資が乏しい時代、闇市や屋台では、牛すじや豚もつといった当時は安価だった食材を無駄なく使い切る知恵が求められました。そうした工夫の中から、豆味噌でじっくり煮込むどて煮のスタイルが育まれていったのではないかと考えられています。限られた食材を美味しく食べ尽くす庶民の知恵が、今に続くどて煮のルーツになっているのかもしれません。
ここまで見てきたように、どて煮の発祥については複数の説が語り継がれていますが、いずれも口伝えの域を出ず、創業年や発祥店を明確に裏付ける資料は多くありません。屋台文化という性質上、記録が残りにくかったことも大きな理由でしょう。だからこそ、それぞれの説を「正解を選ぶもの」としてではなく、どて煮という料理が育まれてきた背景を物語るエピソードとして楽しんでみるのがよさそうです。

発祥説を追いかけていくと、どうしても外せないのが名古屋圏ならではの味噌文化です。ここで少し、どて煮を支える味噌について掘り下げてみましょう。
愛知県から岡崎市周辺にかけては、大豆と塩だけで仕込む豆味噌づくりが古くから盛んな土地です。この豆味噌は米味噌に比べて熟成期間が長く、色が濃く、コクや渋みのある深い味わいが特徴とされています。どて煮の味の骨格は、まさにこの豆味噌ならではの濃厚な旨みとコクによって支えられていると言えるでしょう。豆味噌の文化がなければ、どて煮という料理そのものが生まれなかったかもしれません。
味噌煮込みうどんや味噌カツも、同じ豆味噌文化から生まれた名古屋めしです。これらに共通するのは、素材の旨みを豆味噌でじっくり引き出す調理スタイル。どて煮もまた、こうした名古屋の食文化の延長線上にある一皿として理解すると、より味わい深く感じられるはずです。気になった方は、どて煮を食べ比べながら、他の名古屋めしとの共通点を探してみてください。

発祥説の多くに登場するのが「戦後」というキーワードです。ここでは、どて煮が実際にどのように広まっていったのかを見ていきましょう。
終戦直後の名古屋では、多くの屋台が立ち並び、庶民の胃袋を支えていました。手に入りやすかった牛すじやもつを、豆味噌でじっくり煮込んで柔らかくするどて煮は、限られた食材を美味しく食べるための知恵として重宝されたようです。こうした屋台文化があったからこそ、どて煮は特別な料理ではなく、日常に根づいた庶民の味として定着していったのだと考えられます。
発祥店を特定するのは難しいものの、どて煮が名古屋の食文化に根づいていった過程を示す具体的な例はあります。伏見エリアの老舗「島正」は、1949年に屋台「きむらや」として創業し、どて煮(どて焼き)や味噌おでんを提供してきたお店です(出典: にっぽんの観光事典)。こうした老舗の歩みは、どて煮が戦後の屋台から大衆酒場へ、そして今の名古屋めしへと受け継がれてきた流れを物語る貴重な手がかりと言えるでしょう。
歴史をたどったところで、実際にどて煮を味わえるお店もいくつか紹介しておきます。
名古屋でどて煮の歴史を体感できるお店を紹介します。
お店だけでなく、どて煮は家庭料理としても親しまれています。ご飯にどて煮をかけた「どて飯」や、味噌煮込みうどんの具材としてアレンジする食べ方も名古屋では定番です。豆味噌さえ手に入れば、家庭の圧力鍋でも比較的手軽に再現できるので、名古屋旅行のお土産に豆味噌を買って帰り、自宅でどて煮づくりに挑戦してみるのもおすすめです。
ここまでの内容を踏まえて、読者の方からよく寄せられる疑問にお答えしていきます。
A. 大阪の「どて焼き」に由来するという説は広く知られていますが、それを断定できる公的な資料は今のところ見つかっていません。名古屋で独自に発展したという説も併せて語り継がれており、どちらか一方に決めつけることは難しいというのが実情です。
A. どて焼きは鉄板でホルモンなどを焼く料理で、どて煮は鍋でじっくり煮込む料理です。どちらも味噌を土手のように盛る調理法が名前の由来とされていますが、調理法そのものは異なります。
A. 明確な誕生年は特定されていませんが、戦後の屋台文化の中で広まっていったと考えられています。伏見の老舗「島正」が1949年に屋台として創業した例からも、戦後まもない時期には既に名古屋の食文化として根づき始めていたことがうかがえます(出典: にっぽんの観光事典)。
A. ポイントは豆味噌を使うことと、牛すじを下茹でして臭みや余分な脂を取り除いてからじっくり煮込むことです。時間をかけるほど味が染み込み、お店のような濃厚などて煮に近づきます。
どて煮の発祥については、大阪の「どて焼き」に由来するという説と、名古屋で独自に育まれたという説の両方が語り継がれており、どちらか一方に断定することはできません。それでも、豆味噌という土地の食文化と、戦後の屋台から続く庶民の知恵が積み重なって、今のどて煮があることは間違いないでしょう。諸説を知った上で改めてどて煮を口にすると、いつもの一杯がより味わい深く感じられるはずです。名古屋を訪れた際は、老舗の暖簾をくぐりながら、どて煮に込められた歴史にも思いを馳せてみてください。